ミツワヒストリア

誕生日休日制度の制定

東京オリンピックの翌1965年(昭和40年)から、開催日を記念して10月10日は「体育の日」と定められ、国民の祝日となった。これを喜んだのが社長の秀雄である。秀雄の誕生日は10月10日であり、その日を休日として過ごすことで、有意義な1日となることがわかった。 

これを社員全員にも分け与えるべきとして定められたのが「誕生日休日制度」である。これについて、秀雄は1968年の『ミツワ会ニュース』で次のように呼びかけている。 

「私の誕生日が体育の日となって休みとなった体験から社中諸君にも意義のある誕生日を過ごしてもらうため誕生日休日制度を実施する。 明治100年を記念し、私の50歳記念に、21世紀の企業に一歩でも近づくため労働時間の短縮の一端として誕生日休日を設けることにしたのである。」 

これは社員にも極めて好評で、次の声が上がっている。 「私も誕生日休日をいただきましたが、自分の誕生日に休むなんて別にどうってことないだろうなんて思っていたのが、実際ゆっくりと休むことができて、本当に嬉しかったです。友人に話をすると『変わった会社だわね』とか『うらやましい』とか言っていました。本当に個性的な面があります。」 

「えびす講や誕生日休日など他の会社ではないことですね。でも、そんな家庭的なところがミツワ電機ならではの良さではないでしょうか。1年に1回しか来ない日、それが誕生日。その日をどのように過ごすかはそれぞれに違うかもしれません。でも、自分が生まれた日が休みになる。それだけでも楽しいことではないでしょうか。」 

誕生日休日は福利厚生の見直しにより一時期中止されていたが、20154月に復活している。さらに、1973年からは誕生日祝い金制度が設けられ、誕生月に祝い金が支給されている。

 ▲  誕生日祝いで堀井秀雄より贈られていたカード

えびす講

「えびす」は兵庫県西宮市の西宮神社の祭神で、七福神の一神、家運隆盛や商売繁盛の神として広く信仰されている。すべての神様が出雲に出はらう神無月(10月)に、恵比寿神だけは残っているという言い伝えから、商家に信仰されるようになったといわれている。

恵比寿様は釣りの名人であり、そのお姿は釣り竿と大きな鯛を手に、ニコニコ顔である。

当社の近くでは日本橋本町3丁目にある宝田恵比寿神社に祭られている。周囲には古くからの問屋が多く、商売神として大切にされている。

そのお祭りが10月20日あるいは12月20日、1月10日など、それぞれの地方で行われてきた。これが「えびす講」である。

えびす講では、既に民間の各家庭ではあまり見られなくなったが、恵比寿神の像を掲げて酒や魚を供える。また当日は商いを休み、親類を招いて酒肴をふるまったりした。

当社では、創業時より商売の繁盛を祈り共に喜びを分かち合う為に、毎年10月20日に祭壇を設けえびす講を実施している。この時、祭るのは恵比寿様だけではない。七福神の神様である大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋尊、寿老人、福禄寿、全ての七福神を祭って社業の発展を祈るのである。


社歌制定

50周年に合わせて、社歌を創作した。作詞の坂口淳(1908~1974)は昭和初期に活躍した作詞家で「マロニエの木陰」や「子鹿のバンビ」などを手がけている。

服部正(1908~2008)はクラシック界の作曲家である。社長の秀雄と同窓の慶応義塾大学を出ており、学生時代にはマンドリンクラブに所属した。また、現在でも日本全国で子供から老若男女まで幅広く親しまれているラジオ体操第1の作曲をてがけたことでも知られ、クラシック音楽の大衆化に努めた作曲家である。

社歌

坂口 淳 作詞

服部 正 作曲


 隅田の流れ 望みつつ

 励む愉しい この職場

  誇る伝統 基として

  常に時代に さきがける

  ミツワ ミツワ 我等のミツワ

             ミツワ電機


 苦楽を共に 分けあって

 明日をみんなで 築こうよ

  たとえ波風 荒くとも

  空に輝く 陽は新

  ミツワ ミツワ 伸びゆくミツワ

             ミツワ電機


 互いの力 協せ合えば

 いつか希望の 峰となる

  夢にふくらむ この胸に

  強く貫く 教訓あり

  ミツワ ミツワ 栄あるミツワ

             ミツワ電機


社歌楽譜

 ▲  社歌楽譜